ブログ

“密”な関係性に育まれて 再び(首藤 貴子)

研究室からこんにちは(短期大学)
 能登半島地震により被害に遭われた皆さま、心からのお見舞いを申し上げます。そして、大切な方々を亡くされた皆さま、謹んでお悔やみを申し上げます。一刻もはやく日常の生活を取り戻せますように。

 このような非常事態になると、社会的弱者である子どもたちに、必ずしわ寄せがきます。コロナ禍においてもそうでした。全国的な休校によって学校や園での生活経験が削られ、いわゆる“密”な関係を奪われたことによって子どもたちの発達への影響が考えられる、とくに幼い子どもたちへの影響は計り知れない。こんなことを危惧して、当時、下記のブログを書きました。

「“密”な関係性に育まれて」2020.6.25
https://www.aisan-tsukyo.jp/blog/32664

 実際、子どもたちにはどのような影響があったのでしょうか。2024年1月現在、コロナ禍における影響について、いくつかの調査結果が公表されています。たとえば下記研究報告では、5歳児に約4か月の発達の遅れが確認され、発達の個人差も拡大していると指摘されています。こうした量的調査から得られた知見により、私たちは子どもたちへの影響についておおまかな傾向を知ることができます。今後も影響は続くことが想定されますので、継続的な調査報告が待たれます。

京都大学「コロナ禍で5歳児に約4か月の発達の遅れ―3歳、5歳ともに発達の個人差拡大」2023.7.11
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2023-07-11

 さらに、一人一人の声を聴く質的調査も求められています。とくに同じ子どもたちと年単位でかかわり、生活をともにしている教師たちの声に耳を傾けることは必要でしょう。
 今年度、教師たちから聴くのは、「子どもを叱れない」という声です。体罰は当然論外ですが、先生の声が大きいと「怖い」という子ども。自分の体を傷つける子ども。自分の命を「人質」にして大人に迫る子ども。その傷つきやすさから、子どもに何気ない声かけをするにも神経を使い、信頼関係の構築が難しくなり、その結果、叱れなくなった、というのです。
 もちろん、子どもたちは、感覚過敏などの発達上の課題を抱えていたり、家庭内のトラブルで荒れていたり、一人一人の背景もさまざまです。もしかしたら、教師側の指導観にも見直すべきところがあるのかもしれません。ただ、こうしたエピソードを聴くたび、どの子も、消えてなくなりそうな自分という存在を何とか掴もうと、もがき苦しんでいるように感じます。
 “密”な関係を奪われたことによって、この数年間、表面的には人間関係のいざこざは減っています。それは同時に、いざこざを乗り越える力を培う機会が減ったことを意味します。それだけではなく、他者を「鏡」にして自分を見つめる思春期の子どもたちにとっては、そうした機会も奪われています。自分を映し出す「鏡」を持てずに自分で自分を了解することが難しくなっているように思うのです。過剰に自分を守ろうとしたり、逆に、周りの大人に「試し行動」を繰り返したり、不安で不安でしかたがない子どもたちの姿です。コロナ後の「不登校」の異常なほどの増加も、妙に納得してしまいます。直接的な対話でもサポートを必要とする段階の子どもたちですから、SNSでつながったとしても心許せる関係を築くことはなかなか難しいでしょう。
 コロナ禍は、生身の人間としての喜怒哀楽がいかに大切であったか、教えてくれました。その声を聴く限り、教師たちも実感しているところです。学校という子どもたちの生活の場で、とくに授業で、胸がチクチクする経験や心がホッとする経験、怒りで震えるような経験、おなかが痛くなるほど笑い転げる経験を何度も繰り返し、「きっと大丈夫」という自己への信頼感と他者・社会への信頼感を子どもたちに取り戻すことが必要です。個々のタブレットと向き合って、チャットでやりとりして、他人がつくったネット情報をコピペして、あたかも自分で考えたようにプレゼンするような授業では、ポストコロナの学校とは言えないでしょう。むしろその授業によって、有限の子ども時代に最優先で学ぶべきはずのことが学べなくなっているのではないでしょうか。ググらせて学んだ気にさせるのではなく、自分の中をくぐらせてはじめて学びになるのです。大規模災害が続く今、学校という子どもたちの生活の場での“密”な関係性を、再評価する必要があると思います。