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リアルタイム型オンライン授業の限界(国際コミュニケーション学科 首藤貴子)

研究室からこんにちは(短期大学)
 「コロナ禍」と言われはじめて約2年。2022年1月の今も、感染者数は過去最多を更新し続けています。これまで対面で実施してきた授業も、今年度後期、ZOOMを用いて、いわゆるリアルタイム型オンライン授業を中心にすすめてみました。これまでもそうした授業は実施していますが、お互いの顔の見える関係が維持できる少人数での授業でした。ですが今期は、100名近い学生と同時につながる授業です。ブレイクアウトルームを利用したグループワークや投票機能を利用したアンケートの活用など、ZOOMの様々な機能を試してみましたが、ここでは講義形式の授業実践で感じたことをふりかえってみたいと思います。

 たとえば学生一人が何かつぶやいたとき、教室という空間があれば、私がその学生の声を拾い上げ学生全体に投げるので、一人の声をその時その場で共有することができます。ですが、多人数のオンライン授業では、それがなかなか難しいと感じました。
 オンライン授業では、音声で学生がコメントすることも可能な設定にしていますが、ネットのトラブルでもない限り、発言する学生はいません。一方、チャットでは、いつでも学生がコメントできるようにするとともに、発言のしやすさを考慮して、ハンドルネーム可としました。教室で発言するよりずっと抵抗感なく書き込めるだろう、と。ですが、学生たちの多くは、ホストである私にダイレクトにコメントを寄せてきます。匿名性を確保しても、多くの学生の目に触れるようなところに書き込むとなると、やはり相当な勇気がいるのでしょう。そのためチャットは、私には学生一人一人の書き込みは見えますが、学生同士で見ることができない状態になります。一人のコメントを多くの学生と共有しようとすると、私は、常にチャットの書き込みをチェックしなければなりません。それが難しいのです。
 講義中、私は、ダミーの学生アカウントを使い学生が見ているだろう画面をスマホで確認しつつ、学生たちの顔を映す2画面を時々切り替えながら、画面共有している講義資料を見て話します。これら3つのモニターと格闘しながら講義していると、どうしてもチャットへの反応が遅れるのです。そもそも複数のモニターを見ながら話すだけでも集中しづらいのですが、そこにチャットのチェックをするとなると、ほとんどお手上げ状態。結果、学生がせっかく書き込んだコメントをスルーしてしまったり、書き込みに気づいた頃にはすでに別の話題に進んでいたりと、リアルタイム型オンライン授業であるはずなのにリアルタイムの反応ができません。私にとって、教室ではその場で話すというシンプルな行為だったはずの講義が、オンライン上では難易度の高いマルチタスクになってしまいました。
 このようなオンライン授業をとおして、教室での講義で当たり前のこととしてやっていた行為を自覚することになりました。教室では、当然、学生たちの顔をみて話をします。眠そうにしていたり、周りの友達に何か聞いていたり、うなずいていたり、目をキラキラさせていたり。そうした姿を確認しながら、その時その場で授業の内容を調整したり学生に声かけしたりしていた、と。オンライン上では、いくら「リアルタイム」であっても、小さな枠の中に収まった学生たちの顔から声なき声を感じとったり、それに応答したりすることはできません。そもそも学生たちの反応は、周りの学生たちがいるからこそ生じるわけで、自分の部屋のPCの前で一人笑ったり首を傾げたりといった反応をすることはほぼないでしょう。
 気がかりなのは、画面で「顔出し」をしていても「自分は先生から見られていない」「自分一人いなくても先生は気にしないだろう」という感覚の学生です。そうした学生にあの手この手でアプローチしても、オンライン上ではなかなか届きません。対面授業では、何度も直接顔を合わせるうちに「この先生はこんな人」という認識が学生にひろがり、教室の中に安心感・安定感が生まれます。そうしたベースがあれば、サポートが必要な学生とも関係をつくりやすいのです。一方、オンライン授業で教員を理解してもらうには、学生たちが、それ相応の主体性を発揮し授業に参加することが必要です。ですが、こちらがアプローチしたい学生ほど、画面上の教員を見ておらず、そのため教員への信頼感をもちにくくなっているように感じます。そんな希薄な関係で、教員として声をかけたとしても、学生に響くはずがありません。
 今あらためて教室での講義を思い出せば、私は、個々バラバラな学生たちに向けて話していたのではなく、学生たちの集団に向けて話し、偶に生じる、教室の中で皆の思いが重なる瞬間を楽しんでいたことに気づきます。こうした感覚を大事にして、来年度の授業を計画したいと思います。