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進化論と造形教育(建築学科 山口雅英)

研究室からこんにちは(建築学科)
 私は本学通信教育部でデッサン基礎、デザイン基礎、立体造形基礎、造形学言論、環境色彩学など各種の造形基礎科目を担当しています。私は自身の造形教育を考えていく上でチャールズ・ダーゥインの唱えた「進化論」を拠り所としています。進化論とは、生物は長い時間をかけて形質を変化させているという考え方です。進化論で有名なのは1859年にチャールズ・ダーウィンが出版した「種の起源」ですが、ダーウィン以前にも生物は進化するという考え方はありました。ダーウィンよりも半世紀以上前の学者ジャン=バティスト・ラマルクという博物学者は1809年に「動物哲学」という著書の中で生物の進化について述べており、近代的な進化論の草分けと言われています。
 ダーウィンとラマルクの進化に対する考え方は全く正反対です。よく例として挙げられるのがキリンです。「キリンの首はなぜ長いのか」この問いに対しラマルクは、高いところにある葉を食べるためにキリンは首を長くしたと言っています。この考え方を「用不用説」と言います。目的をもちそれに向かって生物は形質を変化させていくのだとラマルクは考えたのです。
 これに対しダーウィンの考え方は「キリンの首が長くなったのはたまたまである。結果として高いところにある葉を食べられるようになった」というものです。この考え方を「自然選択説」と言います。生物は目的も計画もなくただただ形質が変化していく仕組みをもっている。変化した形質がたまたまその時の環境で生きていくのに適していたから生き延びることができたのだとダーウィンは言いました。つまり自分からそうしようとしたのではなく自然に選択されたのだと。
 ラマルクの「用不用説」とは別の言い方をすれば、生物は「デザイン」をすることができるということです。生物が、ああなりたい、こうしたいという目的を持ち、どうすればその目的が果たせるのかを見通して計画できるのだと言っているのです。しかし果たしてそんなことができるでしょうか。キリンは牛の仲間ですが、今私たちと同じ時代に生きている牛たちが「高いところの葉っぱを食べたいな、そうだ首を伸ばそう」「空を飛べたら自由にあちこちに行って、今よりも美味しい草をたくさん食べられるんじゃないか」なんて考えているとは思えません。実際はわかりません。そう考えているかも知れません。しかし結果が出るのは何千万年も後のことですし、自分の死後も含めどうやってその努力を続けていけるのでしょうか。人間でも、お父さんががんばって体を鍛え筋肉モリモリになったとしてもその子はその肉体を受け継ぐことはありません。「目的を持ち、どうすればそればその目的が果たせるのかを見通して計画する」ということは動物の進化においては全くといって良いほどあてはまらないのです(完全にないと言い切れる知見を持ってはいませんが)。そんなことができるのは人間だけです。人間が今のように発展し繁栄することができたのは、デザインする能力に負うところが大きいのです。先々のことを予測する。目的を持って計画し実行する。あるべき状態にむけてものごとをコントロールすることができる。偶然に生き残ることができるという「自然選択説」などあたかも人間には関係のないように思われます。
 ところが本当にデザインのみで人間は生き延びていくことができるのでしょうか。実はダーウィンの「自然選択説」は人間の文化活動にも深く関わる問題なのです。次回は創造性と自然選択説の関係について述べていくことにします。