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新型コロナが突き付けたもの(国際コミュニケーション学科 髙野盛光)

研究室からこんにちは(短期大学)
5月14日に国の緊急事態宣言が解除された。しかしながら愛知産業大学短期大学のある愛知県では5月31日まで緊急事態措置を継続することが県のホームページで発表されている(新型コロナウイルス感染症 愛知県緊急事態宣言及び緊急事態措置(5月19日変更))。新型コロナの影響から立ち直るには数年を要するとの見解も見られ、また、「ビフォーコロナ」、「アフターコロナ」との言葉にみられるように新型コロナ蔓延以前の世界とは大きく変わり、その世界には戻れないとの見解もある。地方自治体が地域の実情に鑑みて独自の判断を首長の英断をもって下したことの意義は決して小さいものではないとわたしは考える。今回起こった小さな動きを大きく開花させることができるのか、それとも、旧態依然とした状況に回帰させてしまうのかはまだ予断を許さないとも考えられる。社会全体にどの程度の影響を及ぼすことになるのかは分からないものの、教育には少なからぬ影響が出るのではないかと考えている。

総務省「平成30年通信利用動向調査報告書(世帯編)」(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/pdf/HR201800_001.pdf)によると、世帯におけるパソコン保有率は平成21年の87.2%をピークに平成30年は74.0%まで落ち込んでいる。変わってスマートフォンは平成22年の9.7%から平成30年の79.2%へと急速に伸びている。タブレット型端末も平成22年の7.2%から平成30年の40.1%へと大きく伸びている。日本においてはこの間「いつでもどこでも情報にアクセスできる」ユビキタス社会の実現を国策として推進してきた。学校現場でも教育の情報化、教育のICT化は新学習指導要領における売りのひとつでもある。タブレットを片手に楽しそうに学習に取り組む学習者の姿はしばしばテレビ等でも取り上げられる。先の報告書ではタブレット型端末はモバイル端末には含まれていないが、デスクトップPC、ノートPCと比較した場合、容易に外に持ちだして利用できる点からはモバイル端末と考えてもいいだろう。そのように「いつでもどこでも情報にアクセスできる」はずの学校現場が今回の新型コロナによって大きく揺れた。
1つは学習者が教育コンテンツをダウンロードして学習を進めることが困難であることが明らかになったことである。タブレット型端末はまだしもスマートフォンではパソコンのように複数ソフトを立ち上げておいて切り替えながら授業を受けることが決して容易ではない。同時双方向型授業であれ、オンデマンド型授業であれ、複数の資料を見ながら授業を受けることは珍しくないが、パソコンと比較して画面が小さいスマホやタブレットで長時間視聴することは楽ではない。解像度は上がっているので表示することは不可能ではない。しかしながら表示できることと長時間の視聴が可能かどうかとは別問題である。パソコン保有率をスマートフォンの保有率が上回ったことは、ユビキタス社会への移行の点からは推進勢力の狙いが達成されたとみることができるが、教育現場での活用から見ると小型化の進行が決して好ましいことばかりではないことを明らかにしたともいえる。
2つ目に通信費の問題である。営業自粛要請を受けて多くの業種が応じた結果、アルバイト収入を絶たれる、あるいは、バイト代が大きく減った学生たちにとって学費が大きくのしかかったわけであるが、通信費も大きな問題となった。大手キャリアは学生への支援策としてデータチャージ料金等の無償化(例えばauの場合50GBまで無償化)を打ち出した。しかしながら月間データ容量を超過した後のデータチャージが対象となるため、オンライン授業導入以前よりも通信費が増える等の現象、速度制限の問題が生じる可能性がある(キャリアのホームページにその旨は記載されている)。さらに先生の側にも影響が出る可能性がある。キャリアは料金プランによってアップロードデータ量に上限を設けている場合がある。短期間に大量のデータをアップロードすると一定期間通信速度を制限する仕組みである。普段であれば速度制限が適応されることはそうそうないかもしれないが、休業要請を受けて学校が閉鎖され、授業を自宅から配信する場合適応される可能性は皆無ではない。諸外国と比較して通信費が高いことはこれまでにも指摘されているが、今回そのことがあらためて浮き彫りになったともいえる。
3つ目に遠隔授業を実施する環境整備の脆弱さである。今回大学(短大を含む)では、遠隔授業で授業をおこなうことにしたところは少なくない。その際、大学を挙げて全教員が同時双方向型の授業に安心して取り組めたところはどのくらいあるのだろうか。もちろん不測の事態に対応するためであるから質的な面は目をつぶっても仕方がないとの考え方もできる。同時双方型ではなく、オンデマンド型、資料提示型等の方法も認められている。しかしどの方法をとるにしても配信するための教材準備は一朝一夕にできるものではない。大学にかぎっていえば、緊急事態宣言解除後も前期授業は遠隔授業でとの方針の大学もある。その場合慣れないオンライン教材作成→オンライン授業の実施→オンライン教材作成→オンライン授業の実施→……を繰り返すことになる。一方で対面授業が受けられないことから授業料の減額等を求める運動が学生たちから起こっている。その声は切実なものであり、大学ができる限りの誠実な対応をとることが必要であることは言うまでもない。加えてそうした誠実な対応をとった大学に対して国が財政出動することも求められる。学生が求める、そして、教員が提供したいと願っている質の高い授業を遠隔授業で可能とするためには、そうした授業コンテンツを作成可能な環境の整備が不可欠である。ひとりふたりの教員ではなく大学全体で取り組むことができる施設設備がどれほど整備されていると言えるのか。
今回明らかになった課題を解決するために国がしっかりと財政的な裏付けや条件整備をおこなうつもりがあるのかを新型コロナは突き付けたとも言えそうである。