かつて「日本語指導が必要な児童生徒」だった城間さんについて
研究室からこんにちは(短期大学)
こんにちは。日本語教育コース担当の川崎直子です。
私は、2005年にボランティア団体を立ち上げて以来12年間、社会活動の一環として外国にルーツを持つ子どもたちの日本語教育と外国人保護者の支援を行っています。2015年には法人格を取得して、一般社団法人としてスタートすることになりました。
私が活動している蟹江町では、2017年9月4日から12月18日まで子育て推進課が主催する「平成29年度プレスクール指導者養成講座(総務省 まち・ひと・しごと創生事業)」を開講中です。現在、第2期生の19人が受講されています。
講座の第4回目までは、外国にルーツを持つ子どもたちの背景、子どもたちを取り巻く環境、二言語下での言語能力、日本語教育文法、発達障害支援などについて取り上げました。そして、第5回目の10月16日は、中国とブラジル出身のお二人にお話ししていただきました。
そのうちのお一人、ブラジル出身の城間デボラかおり(Débora Kaori Shiroma)さんは、愛知産業大学短期大学の日本語教育コースを今年9月に卒業されたばかりです。かつては「日本語指導が必要な外国人児童生徒」だったご自身のこと、家族のこと、そして17年前と現在の日本語支援の違いなどについてお話ししてくださいました。
短大では中国、台湾、フィリピン、ロシア、ブラジルと、外国にルーツを持つ多くの学生さんが学ばれています。特に、日系ブラジル人の学生さんは、子どものころに来日した人ばかりです。
日本は、バブル景気を背景とした労働力不足を補うため、1990年に主に南米の日系3世までの単純労働を許可した「出入国管理及び難民認定法」(通称「入菅法」)の改正を行い、17万人の日系人が「デカセギ」(ポルトガル語の辞書にもdecasséguiと載っています)目的で来日しました。その中には、ブラジル生まれ・ブラジル育ち、そして日本語力ゼロで親に連れられて来日した子どもたちがいました。
文部科学省は、その子どもたちのことを「日本語指導が必要な外国人児童生徒」と呼んでいます。デカセギの両親に連れて来られた子どもたちは、留学生とは違って、自分の意志で日本に来たわけではありません。また、日本では外国人の子どもは義務教育ではなく、学校側は保護者が就学を希望する場合のみ受け入れます。
10月16日にお話をしてくださった城間さんも、そんな一人でした。10歳で来日して、日本語がまったく理解できないまま日本の公立小学校に転入しました。ブラジルでは、毎日ゆったりと家族で過ごしていたけれども、来日してからのご両親は工場の製造ラインでの長時間労働と残業続きで、次第に家族の時間もなくなっていったそうです。すると、瞬く間に子どもたちのほうが親の日本語力を上回り、親が子を頼る生活になっていくなかで、親子のすれ違いが生まれていったとのことです。
城間さんはその後、通信制の高校を卒業して本学短大に入学されました。ご存知のように、本学は2,000字のレポートを書かないと単位が修得できません。来日当時日本語ゼロだった城間さんは、短大で毎回優秀なレポートを提出されましたが、ここまでの日本語力を身に着けるのにどれほどの苦労と努力があったことでしょう。
日系ブラジル人の家族は、それまでの本国での生活を捨ててデカセギの道を選んで来日します。そして、子どもたちも親といっしょに暮らしたい一心で日本に来ます。言葉の壁と文化・習慣の壁を乗り越えなければ、日本での安定した生活はありません。その背景には、一人ひとりの家族物語があり、城間さんが語られたことも沖縄にルーツを持つ城間家のファミリー・ヒストリーでした。
現在、城間さんは自分と同じ境遇の子どもを支援する教室で働きながら、保育園で翻訳と通訳の仕事もされています。講演では、最後に「日本に来て良かった。これからは、子どもにも大人にも教えられる日本語教師になりたい。そして、気が済むまで日本で暮らすつもり」と締めくくられました。
かつて支援を受けていた子どもたちは様々な葛藤や試練に打ち克ち、支援者という立場になっている人がたくさんいます。今はやりのインバウンドなどという言葉を超えて、日本の地に人生の軸足を置いた彼らは、多文化共生社会における人財です。
日本語教育のなかでも特に年少者日本語教育は、外国にルーツを持つ子どもたち、日本語指導を必要とする子どもたち、そして成長した人たちを応援するためにあります。私たち日本語教師・支援者は、外国にルーツを持つ子どもたちから、「日本に来て良かった」と言ってもらえることを目標に掲げて支援していきたいと思っています。
そして、一人でも多くの子どもが、日本に来て、今まで知らなかったことを知ることができた、将来の選択肢が広がった、これからは生きていく国を自分で決める!と言える自律性を持てるように、また、世界中どこに行っても生きていける力を持てるように支援を続けていきたいと、私も城間さんのお話を聞いて決意を新たにしました。
国際コミュニケーション学科 川崎直子
私は、2005年にボランティア団体を立ち上げて以来12年間、社会活動の一環として外国にルーツを持つ子どもたちの日本語教育と外国人保護者の支援を行っています。2015年には法人格を取得して、一般社団法人としてスタートすることになりました。
私が活動している蟹江町では、2017年9月4日から12月18日まで子育て推進課が主催する「平成29年度プレスクール指導者養成講座(総務省 まち・ひと・しごと創生事業)」を開講中です。現在、第2期生の19人が受講されています。
講座の第4回目までは、外国にルーツを持つ子どもたちの背景、子どもたちを取り巻く環境、二言語下での言語能力、日本語教育文法、発達障害支援などについて取り上げました。そして、第5回目の10月16日は、中国とブラジル出身のお二人にお話ししていただきました。
そのうちのお一人、ブラジル出身の城間デボラかおり(Débora Kaori Shiroma)さんは、愛知産業大学短期大学の日本語教育コースを今年9月に卒業されたばかりです。かつては「日本語指導が必要な外国人児童生徒」だったご自身のこと、家族のこと、そして17年前と現在の日本語支援の違いなどについてお話ししてくださいました。
短大では中国、台湾、フィリピン、ロシア、ブラジルと、外国にルーツを持つ多くの学生さんが学ばれています。特に、日系ブラジル人の学生さんは、子どものころに来日した人ばかりです。
日本は、バブル景気を背景とした労働力不足を補うため、1990年に主に南米の日系3世までの単純労働を許可した「出入国管理及び難民認定法」(通称「入菅法」)の改正を行い、17万人の日系人が「デカセギ」(ポルトガル語の辞書にもdecasséguiと載っています)目的で来日しました。その中には、ブラジル生まれ・ブラジル育ち、そして日本語力ゼロで親に連れられて来日した子どもたちがいました。
文部科学省は、その子どもたちのことを「日本語指導が必要な外国人児童生徒」と呼んでいます。デカセギの両親に連れて来られた子どもたちは、留学生とは違って、自分の意志で日本に来たわけではありません。また、日本では外国人の子どもは義務教育ではなく、学校側は保護者が就学を希望する場合のみ受け入れます。
10月16日にお話をしてくださった城間さんも、そんな一人でした。10歳で来日して、日本語がまったく理解できないまま日本の公立小学校に転入しました。ブラジルでは、毎日ゆったりと家族で過ごしていたけれども、来日してからのご両親は工場の製造ラインでの長時間労働と残業続きで、次第に家族の時間もなくなっていったそうです。すると、瞬く間に子どもたちのほうが親の日本語力を上回り、親が子を頼る生活になっていくなかで、親子のすれ違いが生まれていったとのことです。
城間さんはその後、通信制の高校を卒業して本学短大に入学されました。ご存知のように、本学は2,000字のレポートを書かないと単位が修得できません。来日当時日本語ゼロだった城間さんは、短大で毎回優秀なレポートを提出されましたが、ここまでの日本語力を身に着けるのにどれほどの苦労と努力があったことでしょう。
日系ブラジル人の家族は、それまでの本国での生活を捨ててデカセギの道を選んで来日します。そして、子どもたちも親といっしょに暮らしたい一心で日本に来ます。言葉の壁と文化・習慣の壁を乗り越えなければ、日本での安定した生活はありません。その背景には、一人ひとりの家族物語があり、城間さんが語られたことも沖縄にルーツを持つ城間家のファミリー・ヒストリーでした。
現在、城間さんは自分と同じ境遇の子どもを支援する教室で働きながら、保育園で翻訳と通訳の仕事もされています。講演では、最後に「日本に来て良かった。これからは、子どもにも大人にも教えられる日本語教師になりたい。そして、気が済むまで日本で暮らすつもり」と締めくくられました。
かつて支援を受けていた子どもたちは様々な葛藤や試練に打ち克ち、支援者という立場になっている人がたくさんいます。今はやりのインバウンドなどという言葉を超えて、日本の地に人生の軸足を置いた彼らは、多文化共生社会における人財です。
日本語教育のなかでも特に年少者日本語教育は、外国にルーツを持つ子どもたち、日本語指導を必要とする子どもたち、そして成長した人たちを応援するためにあります。私たち日本語教師・支援者は、外国にルーツを持つ子どもたちから、「日本に来て良かった」と言ってもらえることを目標に掲げて支援していきたいと思っています。
そして、一人でも多くの子どもが、日本に来て、今まで知らなかったことを知ることができた、将来の選択肢が広がった、これからは生きていく国を自分で決める!と言える自律性を持てるように、また、世界中どこに行っても生きていける力を持てるように支援を続けていきたいと、私も城間さんのお話を聞いて決意を新たにしました。
国際コミュニケーション学科 川崎直子