9.11から20年に思う(国際コミュニケーション学科 寺澤陽美)
研究室からこんにちは(短期大学)
あの日私は、アメリカ・ニュージャージー州の日系スーパー近くにあるレストランにいました。
ニューヨーク・マンハッタンと隣のニュージャージーを隔てるハドソン川沿いで、とても景色の良い場所でした。
当時学生だった私のガラケーに知人から連絡があり、店の外に出てみると、ハドソン川の対岸にあるローワー・マンハッタン(Lower Manhattan)の高層ビルから、煙が出ていました。
2棟並び立つ高層ビル・ツインタワーのうちの一方は、上の方がなくなっているようにも見えました。
その数時間後には、2つのビルは倒壊してしまったのです。
ツインタワーとは、世界の経済の中心でもあるニューヨーク世界貿易センタービル(World Trade Center)のことです。
2001年9月11日(アメリカ東部標準時)、アメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)は、突然に起きました。
その日を境に、アメリカではすべてが大きく変わりました。
マンハッタンは周囲を川と海に囲まれた島で、他地区とをつなぐ橋が幾つもあります。橋の下で爆発物が見つかったと根拠のない噂が度々流れ、人々は外に出ることに不安を感じるようになりました。
アパートの窓の外は真っ白になり、倒壊した建物や航空機、燃料の残骸粒子が空気中に浮遊し、目や喉にピリピリとした刺激が何日間も続きました。
飛行機やヘリが通過する音で、夜何度も目が覚めるようになりました。
人々がパニック状態になって買いだめ行動に走ったため、スーパーの棚から水やトイレットペーパー、生活必需品などが一時的に姿を消しました。
郵便物への炭疽菌(anthrax)混入事件が発生し、注意喚起のお知らせが各戸へ届いて以来、タオルで代用したマスクと手袋をして郵便物を恐る恐る開封する日々が続きました。
多くの人が疑心暗鬼になり、他人(ひと)を見たら疑え、と思うようになりました。時には、中東系や外国人風の人が通りを歩いているだけで、理由もなく恐れられたりするようなこともありました。
街なかには防犯カメラが増え、空港やバスターミナルではセキュリティチェックがとても厳しくなりました。
そして何よりも、アメリカの人々は愛国主義的(patriotic)になりました。
街のどこもかしこも星条旗や星条旗をモチーフにした飾り付けで溢れ、支援や警備活動のため州外からニューヨークへやってくる軍用車を見かけると、人々は星条旗を振り、「USA! USA!」と喚声を上げるといった光景が見られました。
排他的なムードがただよい、外国系の住民の中には、目立つのを躊躇させるような雰囲気を感じた人も少なくなかったかもしれません。
星条旗と防犯カメラを示すサイン グラウンド・ゼロ※2016年筆者撮影
事件の中心となった場所はグラウンド・ゼロ(Ground Zero, 爆心地)と呼ばれ、事件から10年後の2011年、『国立9月11日記念館・博物館』(National September 11 Memorial & Museum)が完成し、アメリカ同時多発テロ事件の追悼施設となりました。
やがて私は日本に帰国しましたが、この歴史的テロ事件以降、アメリカが辿った20年間は長いようで短く、まるで昨日の出来事のように私の脳裏にも焼き付いています。
2021年9月、あの日から20年を経て、多くの人々があらためて平和に思いを馳せていることでしょう。
ニューヨーク・マンハッタンと隣のニュージャージーを隔てるハドソン川沿いで、とても景色の良い場所でした。
当時学生だった私のガラケーに知人から連絡があり、店の外に出てみると、ハドソン川の対岸にあるローワー・マンハッタン(Lower Manhattan)の高層ビルから、煙が出ていました。
2棟並び立つ高層ビル・ツインタワーのうちの一方は、上の方がなくなっているようにも見えました。
その数時間後には、2つのビルは倒壊してしまったのです。
ツインタワーとは、世界の経済の中心でもあるニューヨーク世界貿易センタービル(World Trade Center)のことです。
2001年9月11日(アメリカ東部標準時)、アメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)は、突然に起きました。
その日を境に、アメリカではすべてが大きく変わりました。
マンハッタンは周囲を川と海に囲まれた島で、他地区とをつなぐ橋が幾つもあります。橋の下で爆発物が見つかったと根拠のない噂が度々流れ、人々は外に出ることに不安を感じるようになりました。
アパートの窓の外は真っ白になり、倒壊した建物や航空機、燃料の残骸粒子が空気中に浮遊し、目や喉にピリピリとした刺激が何日間も続きました。
飛行機やヘリが通過する音で、夜何度も目が覚めるようになりました。
人々がパニック状態になって買いだめ行動に走ったため、スーパーの棚から水やトイレットペーパー、生活必需品などが一時的に姿を消しました。
郵便物への炭疽菌(anthrax)混入事件が発生し、注意喚起のお知らせが各戸へ届いて以来、タオルで代用したマスクと手袋をして郵便物を恐る恐る開封する日々が続きました。
多くの人が疑心暗鬼になり、他人(ひと)を見たら疑え、と思うようになりました。時には、中東系や外国人風の人が通りを歩いているだけで、理由もなく恐れられたりするようなこともありました。
街なかには防犯カメラが増え、空港やバスターミナルではセキュリティチェックがとても厳しくなりました。
そして何よりも、アメリカの人々は愛国主義的(patriotic)になりました。
街のどこもかしこも星条旗や星条旗をモチーフにした飾り付けで溢れ、支援や警備活動のため州外からニューヨークへやってくる軍用車を見かけると、人々は星条旗を振り、「USA! USA!」と喚声を上げるといった光景が見られました。
排他的なムードがただよい、外国系の住民の中には、目立つのを躊躇させるような雰囲気を感じた人も少なくなかったかもしれません。
星条旗と防犯カメラを示すサイン グラウンド・ゼロ※2016年筆者撮影
事件の中心となった場所はグラウンド・ゼロ(Ground Zero, 爆心地)と呼ばれ、事件から10年後の2011年、『国立9月11日記念館・博物館』(National September 11 Memorial & Museum)が完成し、アメリカ同時多発テロ事件の追悼施設となりました。
やがて私は日本に帰国しましたが、この歴史的テロ事件以降、アメリカが辿った20年間は長いようで短く、まるで昨日の出来事のように私の脳裏にも焼き付いています。
2021年9月、あの日から20年を経て、多くの人々があらためて平和に思いを馳せていることでしょう。