ブログ

日常使いのオノマトペについて(国際コミュニケーション学科 川崎直子)

研究室からこんにちは(短期大学)
 

 こんにちは。日本語教育コースの川崎です。
 私事になりますが、数週間前に「急性腰痛症」、いわゆるぎっくり腰で腰を痛めました。その原因が、何かすごく重いものを持ち上げたとかいうのなら、聞いた人も仕方ないねえとなるのでしょうが、今回はそんなことではなく…。一週間ほど前から腰が重いなあと思いながら過ごしていたある日、床に落ちているほんの数グラムの綿埃を拾ったときに腰に一撃を受けたのです。その直後から二日間は、寝返りも打てなくなり、病院に行くときもハンドルにしがみついて運転するという情けない有り様でした。
 診察室でも、いったん椅子に座ると痛みで立ち上がれなくなるので、整形外科の先生は「無理しないで立ったままで良いですよ。ギクッとしてから、背中がパンパンに張ったり、腰以外にジンジンするとか、ピリピリするところとかありますか」と質問されました。私は「あれから動くたびにズキズキ痛くて、急に立つとビリっとしてヒエーとなります」と答えました。先生は、「ぎっくり腰になったばかりは痛みが強いんですよね」と言われました。このたった2分ほどの会話のなかでどれだけ擬音語が使われたでしょうか。
 たとえば、腹痛や頭痛、歯痛を表す「シクシク」と「ズキズキ」はどうでしょうか。「少し痛い」か「すごく痛い」かの痛みの程度を擬音語で使い分けして表現することで、その人の痛みが可視化できるわけです。それでお医者さんは、患者がいまどの段階の痛みを訴えているのかが理解できるのでしょう。

 このような擬音語・擬態語を総称して「オノマトペ(onomatopeia)」といいます。擬音語はドアを叩く音の「ドンドン」、擬態語は様態を表す「子どもがドンドン大きくなる」というような表現です。また、「トン」と「ドン」では、前者は軽く物を置く感じで、後者は重いものを置く印象です。そして「ドンドン」だとその現象が反復される感じがしますね。さらに、清音・半濁音と濁音はどうでしょうか。たとえば、「桜の花びらがハラハラ散る」のはかなげな感じの「ハラハラ」「パラパラ」「バラバラ」では、清音➡半濁音➡濁音になるにつれて、程度と量が少しずつ激しくなっていく印象を受けませんか。

 日本語は特にオノマトペが豊富な言語です。英語のオノマトペは約3,000語ですが、日本語には約12,000語あるといわれています。その理由として、日本語は英語に比べて状態を表す動詞の数が少ないからだそうです。英語の「泣く」を表す動詞には、「声を出して泣く:cry」「すすり泣く:sob」「涙ぐむ:weep」「号泣する:wail」「わあわあ泣く:bawl」などがあるようです。一方日本語は「泣く」(忍び泣く、むせび泣く、号泣する、滂沱の涙を流す等はちょっと置いておいて…)と動詞が限られているかわりに、「しくしく」「ぐずぐず」「くすんくすん」「えんえん」「おいおい」「わんわん」「わあわあ」「ぎゃあぎゃあ」などのオノマトペで、どの程度の悲しみなのかを表すことができます。このように、私たちが生活のなかで巧みに使い分けている擬音語・擬態語は、日常の表現を豊かにするエッセンスのようなものですね。

 日本語の授業では取り立ててオノマトペを教えることはしませんが、「トントン」と「ドンドン」などは、毎回教室のドアを使ってちょっと大げさにデモンストレーションします。そして、「面接のときのドアのノックは、トントンかドンドンかどっちが良いですか」と聞くと、学習者はたいてい「トントンです」と答えます。でも、アクションでうまく示せない「ノドがイガイガする」というような擬態語表現は、学習者にはなかなかピンとこないようです。授業で教えないものは教室の外の世界で経験するしかありませんが、最近は日本のアニメや漫画、ゲームなどで習得する外国人も多いようです。

 若い人たちはことばに敏感ですから、新語をどんどん創造していきます。そのなかでも最近流行りの「モフモフ」というオノマトペは、浮遊感のある「フワフワ」よりさらに毛並みが柔らかくて、毛足が長くて、空気をたくさん含んだエアリーなイメージで、小動物の可愛らしさを表現するのに使うようです。また、毛足に顔を埋めたり、触ったり撫でたりする行動を「モフモフする」と動詞的に使うこともあります。「フワフワ(fuwafuwa)」は英語では「fluffy」、フランス語は「floche」、ドイツ語は「flauschig」、ポルトガル語だと「fofo」というらしく、どの言語も「f」で始まっているというのが面白いですね!

 最後に、オノマトペの方言性にも注目してみましょう。開けっ放しという意味の「(窓が)パアパア」という表現は、どうやら愛知県周辺の人にしか通じないようです。また、愛知県であっても年齢層が低い人は耳にしたこともないようで、先日小学生から「意味わからんしい」と笑われてしまいました。― ことばは生きているということを実感する日々です。